Dying Well Is the Best Revenge

ちょいちょい書いていきます

青識亜論さんの「あらゆる表現の自由を擁護する」に関する議論について憲法の観点から考える ~ヘイトスピーチを巡って~

青識亜論さんのツイッター

https://twitter.com/dokuninjin_blue

のbioには「暴力的ポルノからヘイトスピーチまで、あらゆる表現の自由を擁護する」と書かれている(2018/12/02現在)。これに対して「青識はヘイトスピーチを擁護するのか」といった批判が噴出した。一方で青識さんは「ヘイトスピーチの擁護」と「ヘイトスピーチをする自由の擁護」を峻別し、ヘイトスピーチ自体は不当であるとしつつも、それを表現する自由は守られなければならないと主張している。

本文では憲法の観点から議論を整理したい。

おそらく両者の主張の食い違いの原因には、

表現の自由を侵害する主体は誰なのか

ヘイトスピーチ規制をどのように違憲か否か判断するべきか

といった憲法上の問題があると考えられる(①に関しては問題というより勘違いと言えるかもしれないが)。

 

表現の自由を侵害する主体は誰なのか

結論から言うと憲法上問題となりうる表現の自由を侵害する主体は国を始めとする公権力である。憲法表現の自由等の個人の権利を守るために公権力を制限する対国家規範であるからだ。したがって、たとえいくら不快な表現であっても、その自由は原則として公権力により禁止されるべきではなく、私人間の自由な議論の場で対抗すべきなのである。

わかりやすく青識さんのbioに補足するならば、「私は君の言うことに反対だ。(だから私個人として公権力に頼ることなく自由な議論の場で君の言うことに批判もするし、やめろということもできる。)しかし君がそれを言う権利は(憲法で保障されているため、公権力から)命をかけても守ろう。」ということになるだろう。

 

ヘイトスピーチ規制をどのように違憲か否か判断するべきか


そもそもヘイトスピーチの定義を何とするかは、憲法が保障する表現の自由との関係で難しい問題を孕んでいる。いわゆるヘイトスピーチ対策法によると、ヘイトスピーチの定義は「本邦外出身者に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」とされる(2条)。ただ現在当該法律には罰則規定はないため、実質的に表現の自由を制約するものではない。もし罰則が追加されれば当該法律の合憲性が問題となる。

ところで、ツイッター上では「ヘイトスピーチの自由も表現の自由として憲法により保障される(憲法21条)」という文章に、条件反射的に「は? 何言ってんだコイツ」というような反応をされる方が多いように見受けられる。たしかに感覚としてはわからなくはない。

しかし、あくまでヘイトスピーチも「表現」である以上、その自由は表現の自由に含まれる。これは主張ではなく前提である。

もっとも、表現の自由も絶対無制約ではなく、「公共の福祉」(憲法12条・13条)により制約される。公共の福祉の意味については、人権相互が矛盾・衝突した場合にこれを調整する実質的公平の原理と解されるのが通説である(一元的内在制約説)。ヘイトスピーチを巡っては、表現の自由と他者の人格権や平穏に生活する権利などが衝突するため、これを調整しようということになる。

ここで、罰則付きのヘイトスピーチ規制法(仮)がいかなる違憲審査基準により判断されるべきかが問題となる。

表現の自由は民主政の前提となる重要な精神的自由権であり、一旦その自由が侵害されてしまえば回復は困難である。特にヘイトピーチを禁止するような表現内容規制は、かかる表現内容自体を民主的な議論の場から排除するものであり、表現の自由に対する強度な制約である。

したがって、かかる表現内容規制については、明白かつ現在の危険の基準をもって合憲性を判断すべきであるというのが通説である。
具体的には、
①近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること
②実質的害悪が重大であること
③当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること
の以上3要件が満たされなければ違憲とされる。

ヘイトスピーチ規制法に罰則が追加された場合、明白かつ現在の基準を用いて違憲と判断される可能性は濃厚である。(具体的なあてはめしなくてごめん疲れた。)

あとヘイトスピーチ規制は罪刑法定主義憲法31条)に反しないかも検討する必要がある。

 

このように、ヘイトスピーチ規制に賛成するためには憲法上の問題をクリアしなければならない。書こうとすればきりがないが、ヘイトスピーチ規制を巡っては、対抗言論の余地があるか、表現行為に対する萎縮効果を生まないかなど、憲法上の論点は多岐に渡る。

 

終わりに

ヘイトスピーチの実態を鑑みるに、個人的には何らかの国による対策が必要だと思う。「いやここまで言ってることと矛盾してるじゃねえか!」といわれるだろうけど、現実問題そう思う。ありゃひどいもん。しかしだからといって安易に表現規制を認めることは憲法上できないのもこれまで述べてきたとおり。
青識さんの「あらゆる表現の自由を擁護する」という理念には共感するところはあるが、憲法に照らして規制が可能なヘイトスピーチもあると思う。今はそう「思う」としか言えないことに忸怩たる思いがあるが。まとまりのない文章でごめん。議論が整理できたかは疑わしい。

あらゆる人の人権が公平に充足されますよう願っております。